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釧路地方裁判所帯広支部 昭和40年(わ)123号 判決 1966年3月29日

主文

被告人を禁錮一〇月に処する。

この裁判の確定した日から三年間右の刑の執行を猶予する。

被告人は、救護義務違反については無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、第二種原動機付自転車の運転を業とするものであるが、昭和四〇年一〇月九日午後七時ころ、第二種原動機付自転車(音更町一四一八号)を運転し、北海道河東郡音更町字下音更北一線東一番地先道路を帯広市方面から音更町市街方面に向け、時速約四〇キロメートルで進行中、約七〇メートル前方の自車左側車道端を歩行中の伊藤栄太郎(当時六七年)を認めたが、当時前照灯をつけた対進車も対行してきていたのであるから、かかる場合自動車運転者としては、右対進車の前照灯に眩惑され一時前方注視ができなくなり、その間に右伊藤が自車進路上に進出してきて、自車と同人との衝突による事故の発生することあるを予見し、これを避けるため、直ちに除行し、右伊藤の動静に注視しながら前方注視を厳につくしつつ運転し、もって自車と同人との衝突等による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、対進車の前照灯に眩惑され一時前方注視ができなくなったのに、漫然前方不注視のまま前記速度で進行した過失により、同人が自車進路上を左から右へ斜に横断歩行しているのを、自車前方約九メートルの地点においてはじめて気付き、ハンドルを右に切るとともに急制動をかけ、自車と同人との衝突を避けようとしたが及ばず、自車の左ハンドルを同人に衝突させて、同人を路上に転倒させ、よって、同人に対し脳挫傷、脳内出血などの傷害を負わせ、同月一一日午前六時三五分ころ、北海道河東郡音更町字木野一区の同人宅において、右傷害により死亡するに至らしめた。

第二、前記日時場所において、前記交通事故を起したのに、その事故発生の日時場所等法令の定める事項を直ちにもよりの警察署の警察官に報告しなかった

ものである。

(証拠の標目)≪省略≫

(法令の適用)

被告人の判示所為中第一の業務上過失致死の点は刑法第二一一条前段罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、第二の道路交通法違反の点は同法第七二条第一項後段、第一一九条第一項第一〇号に各該当するところ、各所定刑中判示第一の罪につき禁錮刑を、判示第二の罪につき懲役刑をそれぞれ選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条により重い判示第一の罪の刑に同法第四七条但書の制限に従い法定の加重をした刑期範囲内で被告人を禁錮一〇月に処し、被告人は今迄に度々罰金に処せられたことはあるが、禁錮刑以上に処せられたことはないし、本件は第二種原動機付自転車による事故であって、被害者にも過失がなかったとは言えない事案であるし、被告人の改悛の情は顕著であるところ、その家族は、妻が必ずしも正常な能力者でなく、長女も内地に働きに行っているが時計の見方も解らない程度の能力しかないところ、次女は病院に通院しており、長男は未だ一六才でその下の子供は二男一〇才と三女一二才であって、現在生活扶助を受けている家庭であり、被告人がいないとその家庭は生活に窮することも考えられ、その他諸般の情状により同法第二五条第一項を適用して、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書により、これを被告人に負担させないこととする。

(無罪部分について)

公訴事実は、「被告人は、昭和四〇年一〇月九日午後七時ころ、第二種原動機付自転車を運転し、北海道河東郡音更町字下音更北一線東一番地先道路において、(前判示認定のとおり)業務上過失により伊藤栄太郎に自車を衝突させて路上に転倒させ、よって同人に脳挫傷、脳内出血の傷害を負わせたのに、直ちに自車の運転を停止して、同人を救護しなかったものである。」というにある。

そこで、被告人が救護義務をつくしたかどうかの点について判断するに、凡そ、負傷者の救護としては、出血多量の際における止血、呼吸停止の際における人工呼吸、骨折の場合における添木、寒冷時における保温等のほか、医師への急報、病院への搬入あるいは救急車の派遣の要請等救護に必要な手段をも含むものであるが、救護義務を尽したかどうかは、被害者の年令、健康状態、その事故現場の状況、当時の天候、時刻、加害車の車種、負傷の程度、加害者のとった措置等一切の事情を考慮して社会通念によって決するほかなく、被害者がたとえあるていど老令であり、かつ遂には死亡の結果を招くような重傷を負っていたとしても、第二種原動機付自転車による衝突事故であって通常人が良識をもって見た場合必ずしも病院へ急行せねばならないような負傷とは考えられないような場合で、被害者を病院の玄関まで再三同行して医師の手当を求めるよう説示しても、同人が頑強にこれを否定し帰宅を希望するような場合には、同人に対し売薬等により応急の手当をし、ハイヤー等で同人宅まで無事送りとどけ、同人をその家族に対し怪我をしている旨を告げて引渡せば、かりに自動車事故による負傷である旨を明示しなかったとしても、被害者を救護する義務は尽されたものと解するを相当とするところ、≪証拠省略≫を綜合すると、公訴事実記載のとおりの日時場所において、被告人はその運転する第二種原動機付自転車の左ハンドルを車道を同方向に歩行していた伊藤栄太郎(当時六七年)に衝突させ、同人の右肩の後の方からぶつかって、同人をその左前の方に路上に転倒させ、同人は左顔面(左眼窩上縁)を路上にぶつけて公訴事実記載のとおりの怪我をさせたこと、当時被告人は右原動機付自転車の荷台に米一袋(三〇キロ入り)をつけて、時速約四〇キロメートルで進行していて、衝突直前急制動の措置をとって衝突したものであること、当時天候は晴れており、午後七時ころなので、すでに暗くなっていて、ライトをつけて走ってきたもので、事故現場は歩車道の別のある舗装道路であり、点々と一定の間隔をおいて街燈がついていること、被告人は事故後すぐに通行人に手伝ってもらい被害者を助け起し、折柄同所を通りかかった小学校の教員をしている立花一郎の運転する普通乗用車(パブリカ・バン)に、同人の好意で、病院へ運ぶべく被害者をのせたこと、右車輌に被害者を乗せる時は被告人と通行人とが被害者の足と頭の方をそれぞれ持って運んで右車輌のうしろの座席に寝さすように乗せたこと、被害者は自動車にのせるとすぐ、「家に帰る、帰る」と言って起きあがり、右立花が「寝ていなさい」とこれを強く制したので、被害者は横になっていたこと、被告人は助手席に乗り、帯広市の志田病院に行ったこと、病院につくまで被害者は静かに横になっていて、異常はなく、ただ一度病院につく一寸前に嘔吐したのみであること、被害者の意識ははっきりしており、外見上、左眉の辺りに血が滲んで少し流れていた程度であり、車が病院へつくと被害者は再び「家へ帰る、帰る」と言ったこと、この時の発言も殆んど正常な言動であり、病院の前について、被告人に肩をとってもらって、自分で歩いて下車し、被害者は被告人と肩を組むようにして通りをわたって病院の玄関まで歩いて行ったこと、当時の被害者の状態は、通常人が善意に考えて、到底死亡するような重症とは思われないような様子で、若し被害者が強く帰宅を希望すれば、誰しも医者に見せないで帰宅させるであろうと考えるような負傷程度と見受けられたこと、病院の玄関につくと被害者は「何処だ」と問うので、被告人が「病院だ」と答えると、被害者は「何でもないから(家へ)帰る」と言っていたこと、尤も多少ふらついていたこと、しかし、以上の問答は、はっきりした語調であったこと、そして、なおも被告人が被害者を病院へつれこもうとすると、被害者は足をつっぱって病院にはいろうとしないので、被害者の左目上から血がでていたので、被告人は被害者をその玄関先にすわらせておいて、「薬を買ってくるから」と言いおき、応急薬を買いに近くの薬屋に行ったこと、被告人が軟膏(サイアジン軟膏)、オキシドール、脱脂綿を買って前記病院の玄関に帰ってみると、被害者は同所におらず、捜していると南方の道路を一つ隔てた八丁目の店先を一人で歩いて(帰って)いたので、被告人は、再び被害者を右病院の玄関まで連れ戻し、同所で右薬をつけて応急措置をしてやり、再び「医者に見て貰うよう」被害者に話したが、被害者は「大丈夫だから帰ろう」と何回もいうので、被告人は仕方なくハイヤーを拾って、前記薬等を被害者に持たせて、被害者宅まで送って行ったこと、途中被害者宅までは被害者において道筋を運転手に指示して帰ったこと、被害者宅の前の道に車が着くと、被害者は一人で降りて被害者宅に通じる小路を一〇間位歩いて行くので、被告人も同行し、「ここが爺さんの家か」と聞くと、「そうだ」と被害者は答え、被害者は自宅前につくと、一人でドアを開け、急な階段を登って自宅にはいって行ったこと、被告人は、被害者の妻がでてきたので、「すぐそこで酒を呑んで倒れて、怪我をしていたから、薬を買ってつけ、連れて来た、」と言いおいて、被害者宅を辞去したこと、被害者はその後自宅に帰ると横になり、少し嘔吐し、殆んど寝たきりで、翌日から医師に診断して貰ったが、遂に昭和四〇年一〇月一一日午前六時三五分ころ脳挫傷、脳内出血のため死亡するに至ったものである事実がそれぞれ認められる。

そうすると、被害者が途中で嘔吐したことは、脳内出血を推測さす事実ではあるが、通常人の注意をもってしてはそこまで気付かないのが普通であるし、また、家族に自動車事故による傷害を告げていないのであるが、「怪我をした」事実は告げているのであり、右認定のとおりの事情にある本件にあっては、被告人は自動車事故により負傷した被害者に対しその救護の義務を尽したものというべく、従って、前記公訴事実については、被告人には何ら違法性がないから罪とならないと認められるので、刑事訴訟法第三三六条前段により被告人に対しこの点については無罪の言渡をすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 弓削孟)

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